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しつけの記事一覧
子育てとしつけ
育児や子育てはしつけというものを含むかどうかというのは、親として、考えるところではある。

子育てのしつけというと、規制のことを言うのだと思うけど、広くは、思考の方法ということもはいるのかな〜とか思っています。

初心者ながらここで思うのは、しつけが普遍的な考え方から親の嗜好へと簡単に置き換えられてしまう危険性がると言うことです。そうなると親という枠を限界として成長へ与えてしまい、子供に圧迫感やストレスを与えてしまい、希望や好奇心を薄めてしまいそう。

子育てのしつけで基本は将来的に手がかからなくするということだと思うけど、それだけでは少し物足りないと思う。どうせ子育てでしつけを考えるなら発展的な挑戦があっても良いと思う。

例えば、敗北を許さないとか。
トイレのしつけ
トイレのしつけは、結構苦労しているというのを良く見かけます。もらしたり、ウンこもらしたり、そして、洗うのが面倒で嫌になって、子供にイライラする。というトイレのしつけの感情の流れ。

そこでは、トイレのしつけに、子供の意思がほとんど入ってない。それが問題なんだろうし、それが原因でできないのだと思う。

基本的にトイレのしつけでは、「でそう」という感覚がしっかりしていなければトイレのしつけはできないと思う。その次に、その「でそう」の感覚とトイレに行くという習慣がつながって、それから、「でそう」からトイレまでの時間が確保できるようになるとオムツが取れてパンツへの到達となるのだと思う。

方法はいろいろあるけど、そんなことで子供の自信を失わせることもないし、当然子供はその過程で怒られたくもないのだと思う。

トイレのしつけに安易な結果だけを求めるなら、失うものは限りなく多きなってしまう。株の利益を求めて犯罪者になった人たちと同一の思考方法だと思う。

オムツをとるというトイレのしつけだけでなにも失う必要はない。
育児子育て正直者のしつけ
育児子育てのなかで嘘を付かない正直者にしつけるには、当然、自分が嘘をつかないこと、約束を守ることは必要になってくる。

その上で嘘を付くことの間違いを教え、うそをその場その場で訂正していかなくてはいけないと思う。

育児や子育てをしていると、どうしても約束を守れないときが来たりする。そんなときは、代わりになる前の約束よりちょっとだけ子供に利益のある約束を提示しなければいけない。

そうすると、約束がどうしても守れないときがあるということを理解し、そのことに対する親の申し訳ないという気持ちと選択肢という可能性を理解する。

それは、正直者のしつけから人間性のしつけへと育児子育てが飛躍する。

正直者は論理的で道徳的だ。

子供は論理や道徳をすごく欲していると感じることがある。

育児や子育ての現場で子供の潜在的に欲しているものを与えることを「しつけ」と呼ぶような気がした。
2歳児しつけ
2歳児のしつけとして育児子育ての中でどんなことをしていただろう。

2歳児は、しつけ以前に、歩くことが結構自由になり、言葉が始まり、自分の意思を強く言うようになってきていたと思う。

そこで、2歳児のしつけは、少しだけ社会的な決まりごとのような、挨拶や友達関係を丁寧にやろうとしていたように思える。2歳児の頃は民間の保育園に通わせていたので、しつけとかはほとんど、保育園の先生にやってもらってたかもしれない。

また、電車や図書館など公共施設での理解も2歳児のころから静かにさせるだけでなく、しつけとしてなぜかを言っていた。

特に2歳児のしつけとして考えてはじめたわけではなく、歩き出し、話し始めることでより広い社会に出発した。段階から、しつけというか教えるという必要があったということだと思う。

しつけということに子供を従わせるのではなく、子供の成長にしたがって育児子育ての過程で教えるべきことやしつけておかないと困ることがあるということなのかもしれない。
しつけ箸
しつけで箸というのどうすればいいか最近考えています。というのも、この前の夏祭りで子供の友達が結構上手に箸を使っていたからです。できるだけ早いうちに使えるようになってもらいたいんだけど。

箸をしつけるには、その前に、箸を使えるだけの筋力が手にないといけないようです。また、うまく使えるまでしつけを続けないと成長して修正するのは大変なようです。

練習用の箸を、買うか作るかしてみようと思っています。そんなに難しいつくりにはなってないようなので、割り箸で作ってみようかと思います。

たぶん最初にできないのは、微妙な手加減で箸を動かすことで、×なってしまったり、落としたり、うまくつかめなかったり。だと思う。しつけの結果、箸が使えるようになるとすごくうれしんじゃないかな〜

ということで、そろそろ箸の練習を開始したいと思います。

手が器用になって、脳が刺激され、発達し、ご飯がおいしく食べれるとさらに大きくなるかも。最近4歳になったけど、身長は小学生並みです。食欲はどうなるだろう。

箸の練習のための役立ち道具があります。段階的に指先の繊細さを身に付けていくということだと思います。少しづつ鍛えていくのか、生活の中で鍛えられるのを待つのか。もう4歳だしそろそろ箸が使えたほうがいいような気がする。




指先まで固定する方法と手を固定させて指は訓練する方法との2つだと思います。どれくらいやれるかわからないので両方試してみようと思います。どれくらいで使えるようになるのかわかりませんが、できるようになったら追加したいと思います。

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叱らないしつけ
私は基本的に叱らないしつけをしています。

子供は、しかられると恐がってしまうからです。恐がると、しかられていることが本当にただしいことか考える余裕がなくなるからです。恐怖に従う人間はくずだと思っています。

基本的に叱らないしつけといっても、何かを振り回して人に当てたり、危険には怒鳴っています。

散らかしても、壊しても、喧嘩しても、おもらししても、ぐずっても、叱らないしつけです。何も強制しないし、意思を誘導することもしません。ただ、落ち着き感覚的にでも理解することを待ちます。

叱らないしつけの経験から言うと、親が間違いをしていないと思うと従うし、誘導的な言葉には反論してきます。そこで間違いを含んでいることに気付くこともしばしばですが、間違いを含んでるなら修正するようにしています。

そうすると感情ではやりたいことも、理解があるので、必死に我慢することができます。そして、ここが叱らないしつけのポイント。我慢したのを見計らって、話しかけたりして注意をほかのことや次のことに向けることで、ストレスを分散させています。

叱らないしつけなので、ほとんど叱られたことがないから、叱られることにたいして弱いように思えます。もうちょっと感情をぶつけ合って、攻撃的でもいいと思うけど、ゲーセンとかに親といる金髪の幼児までいくと面倒だし、とか極端なことを考えたりする叱らないしつけの日々。
家庭教育としつけ
家庭教育としつけは、育児や子育てという枠の中で重要なものという感覚がある。

家庭教育としつけの違いは、家庭教育は、親の希望を子供に投影させる教育ということで、しつけとは、社会の希望を子供に投影させる教育ということになるのか。

親と社会が分離しているわけではないので、家庭教育は、しつけの一部分ということになるのか。

偏った知識や需要のない、社会の希望から逸脱したものが意味を成さないように、しつけのない家庭教育もあまり意味がないということかも知れない。いろいろと不安定な論理だけど、間違ってはいないと思う。

家庭が教えることは、家庭が最小の社会であるということから、その他をどう広く見つめていくかということが、その内容を決めていくと思う。

賃金や地位を重視するなら、覚えるということに力を入れるかもしれない。社会を全体に一定の成長を求めるバランサーのように考えるなら、役割を教えるかもしれない。

しかし、社会は自分が考える一点ではないことは確かなので、家庭教育としつけというゆるい対立で考えるのではなく、ありのままに伝えていいとおもう。
赤ちゃんしつけ
赤ちゃんしつけは、存在の確認、あるということを知らせるということだとおもう。全てがはじめての赤ちゃんにとって、あるということが安心で、ないということが不安につながる。

安心できる、態度を保てるということは、将来的にも重要なことだと思うし、赤ちゃんのしつけは、根本的なことから始まるので基本的には、優しく接するということではないかと思う。

赤ちゃんのしつけとして、親との関係で安定した心理状況でいられると、人見知りもあまりしないし、親とはなれるということにも大きく動じないということがあると思う。

たまたまうちがそうだっただけかもしれないけど。

うちが赤ちゃんにしつけで特別やったことは、オムツやミルクなど、泣きながら待たせることなく泣くことをできるだけ少なくしたことや、他人というものや知らない場所が多くあるということを知らせるため胸の中に隠すのではなく、まわりを見せながらダッコしたり、移動したりしていました。

赤ちゃんのしつけは、根本的なので哲学的な面もあって難しいように感じますが、何でも存在するということ、存在していいんだということを知らせることだと思います。
しつけ虐待
しつけと虐待と聞くとどこまでがしつけでどこからが虐待かという疑問を持つ人が多くいると思う。それは、学校教育での体罰とか行き過ぎた教育というものに似ていると思う。

分ける線は、自分の感情が一点でも入った段階で虐待の段階の始まりだと思う。そして、子供がおびえた段階で虐待と認定される。たぶん現在は、学校教育での教師のやりすぎの認定も生徒がおびえた段階で。ということだったと思う。

自分勝手におびえさせたら、暗くなるのも当たり前のような気がする。

その狭間というより、完全な虐待で子供を死なせたりしてしまうことがよくある。その多くが、泣き止まないとか、言う事を聞かないとかの理由だけど、ほとんどが泣いてる理由がわかっていないと思う。

子供のことを知らないとしつけできないので虐待になってしまう。その間に、ただ育てるということがなぜ抜け落ちたのかが疑問です。育つくらいに育てないで繰り返すのは犯罪なのでどうしようもないけど。

虐待するくらいなら、普通に育てればいい。問題あっても大きくなればいい。

親子で問題を共有しているときの解決方法は、互いに問題を解決するか、どちらかの解決を目指す。か、解決しない。

互いに解決できなくて、自分が問題を背負えないなら、子供に押し付けるか、問題を小さくするか。道のりが近すぎる。ネット社会になったからか、新幹線がどんどん高速化しているからか。社会は複雑に見えて、我らの解決能力の衰えを覆い隠している。
育児子育てのしつけと知育
育児子育てのしつけと知育に違いはあるんだろうか、別々と考える必要があるんだろうか。

しつけの箸、トイレのしつけ、騒がないししつけ。どれも状況の中でよりよい選択を求める育児子育ての中のしつけと知育があわさっているように思える。

知育というものは、知育玩具でもわかるように、考えることを促す、考える力をつけるものだと思う。そこが早期教育と知育の違いだと思う。

育児や子育てはしつけや知育を通して、社会への適応力を高めるものとして考えると分かりやすいように思える。土台を作るということの重要性は十分知られてるけど、しつけや知育を知識を求めるための土台として間違って考える人が多いように思える。

ただしいしつけができるなら知育は必要ないかもしれないとさえ思えることがある。

育児子育てのしつけの段階から、知育のために、方法を考えさせる、間違ったらただしい方法を教えてあげる。そして、覚えさせていく。これで完全に知育になっているように思える。

生きていくということが、学び続けるということだから、一日をより濃くしていくだけで知育になる。一緒にいろんなところへ行って遊び、その場所での出会いを大切にし、楽しさを共有する。そして、いろいろな遊び方考えながら思考を交差させる。

共鳴した完成が互いを成長させる。

育児子育てのしつけは知育ではなく、育児子育てが知育であって、しつけでもあるということかもしれない。
しつけ教室は家庭
子供のしつけ教室ってあるんだろうかと思い検索エンジンで調べてみました。しつけ教室は、基本的に、犬や猫の類のペットのためのもので、子供のためのしつけ教室は見つかりませんでした。

たぶんもっと丹念に調べれば見つかったかもしれませんが、これがある程度の現実だと思いました。

6ヶ月から通わせていた保育園は、社長が「ビックリマンデー」で少子化問題を語りながら、保育料の話で、しつけ教室としての教育も含んでるから安いとか言ってたけど、実感はそれほどないけど少しは効果を認めてはいいのかなという思いもあります。

しつけ教室という専門的なとこは見つからなかったけど、この保育園のように、しつけ教育もサービスで入っている塾や保育園は他にもありそうです。自分ができないこと、やりにくいことは正直に金で解決したほうがいいと思います。

大人になってまで、できないことをできるといってもしょうがないというのが、公園や公共施設での他人の親子を見ていて思うことです。

勉強を自分で教えられない親がしつけをできるわけがないというのは言いすぎですが、ある程度お金があるか、働く意志があるなら、はやくからしつけ教室としての意志のある施設に預けて、空いた時間で余剰と保育料を稼いだほうがいいと思います。

そうは言っても基本は、しつけ教室は家庭です。

ちょっと混乱した感じですが、金で買えるものには限界があるので、人間の多様性否定しないなら、基本は、しつけ教室は家庭です。ということになると思う。
小学生のしつけ
小学生のしつけは、より高度になるけど、3歳、4歳の育児子育てのしつけよりは楽にできるんじゃないかと今は感覚的に思ってしまう。

小学生のしつけでやるべきことは、
・計画的準備
・言葉遣い
・手伝い
・時間の使い方
・経済性

小学生のしつけは、それまでのその場その場の点のしつけから、面としての状況への対応、時間的な期間を持ったしつけへと移行すべきだと思います。なぜなら、その小学生の頃から、時間や1日の区切りをわかるようになったり、決められた時間を自分の力で過すようになるからです。

・計画的準備は、決められた時間や目標時間に合わせて身の回りの準備や行動をすることをしつける
・言葉遣いは、相手や周りの雰囲気、声の大きさにあわせた言葉を選ぶようにしつける
・手伝いは、家族や家庭がよりよく生活するために、何の仕事をどう分担するすべきかの考え方をしつける
・時間の使い方は、1日の時間の使い方に無駄がないか考えさせる。
・経済性は、経済はどのように関連性を持って回ってるかを教えると共に、貯金や小遣いの管理の意味とお金の使い方をしつける

小学生のしつけは、勉強があるので後回しにしがちだと思いますが、小学生のしつけ以前に、勉強は自然とやるようにしつけていたいというかいたほうがいいよう思います。

全ての時間を管理していた小学生以前のしつけから自立の始まりへの小学生のしつけだとおもいます。もうちょっとで楽になるために。

実際は、まだ全然経験していない小学生のしつけなので、間違いがるかも知れませんが方向性は間違ってないと思います。

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